【サヨナラ紅白】 〜 to dance even in the rain

コロナ禍の生き方

12月31日と言えば紅白歌合戦だった。
年越し蕎麦を食べ終わって急いで、お風呂に入り、ニュースの間にTVの前に戻れたらセーフ。
母はずっとおせちを作りながら、父はなんだかんだと忙しくしながら、
私は知らない演歌歌手でトイレ休憩。
大トリまで見たら「ゆく年くる年」。
雪国の大晦日をしばし画面で眺めると、家の鳩時計がポッポー♪とうるさく12回鳴って、
東京の叔母が送ってくる早稲田穴八幡宮の一陽来復のお札を、父が椅子の上に乗って天井近く、部屋の角に貼る。
「今年の方角はこっちで間違いないか?」と何度も聞きながら。
年を跨ぐ、この瞬間に貼らなければならないらしい。
その頃には、パラパラパラララ〜と、大音量で暴走族が新年の恒例行事なのか国道を走る。
そんな風に一年の終わりには、
いつも当たり前にN#Kがついていて、
上手いの下手の、
最近の歌手はわからないの、
あの着物高そうだの、
好き勝手なことを言いながら紅白を見た。
時代が過ぎ、
娘と2人の大晦日になっても、
お菓子を大量に用意して、TVの前に座り、私は時々おせちを作りながらなんとなく紅白を見た。
きっと実家では今頃一陽来復のお札を父が貼り、暴走族が走っているだろうと想像しながら。

だけど、
もう紅白は見ない。

ヒット曲のない歌手が出演するために、同じプロダクションの一番売れない女の子がN#Kのお偉いさんの生贄になっていると知っても、
歌手の背後が似たような気持ち悪いモチーフだらけのデザインになっても、
「それはそれとして」紅白を見てきた。

だけど、
もう紅白は見ない。

地方において絶大な信頼感を持つN#Kが、今年地方の高齢者を騙すのは簡単だっただろう。
寂しいお正月を送っている地方の高齢者や、帰りたくても帰れない若者や、未だ無意味な重装備で現場に駆り出されている医療者を思うと、
サヨナラするのが遅すぎたくらいだ。
私が子育てをしている間に、少しずつ変わったN#Kが、気がつけばあの広告代理店にすっかり支配されているからだとしても。

私はもうN#Kを見ないけど、
N#Kで働く数人の大切な友人達のことは今でも信じている。

さてさて、
アマゾンプライムやネットフリックスに行くようじゃ、
なんの意味もないのだけど…。
急激には無理でも、
そしてまだまだ驚くことはたくさんありそうだが、
必ず世界は変わっていく、
良い方に…。と信じている。

さまざまな人の心が揺れ、荒れた年でした。
この後をどう生きるか考えさせられた年でした。
人間関係が一段と難しくなった年でした。
自分の中に、拝金主義や権威主義がまだまだ残っていると気付かされた年でした。
そしてそれでも行動がすべてあり、子供達やお母さん達、そして大人になってもどんどん挑戦したい人の心を守ろうと強く決意した年でした。
今年、仕事を通じ、またプライベートで交流してくださった皆様に感謝します。
来年もよろしくお願い致します。

“Life isn’t about waiting for the storm to pass. It’s about learning to dance in the rain.”
「嵐が過ぎるのを待つことが人生の目的ではない。嵐の中でもダンスを踊れる様になることが人生の目的である。」

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