標高差800メートルの箱根路を一気に駆け上がる若者を見ながら、
この人と私を同じ人類と分類していいのだろうか?と、新年から不思議な気持ちになっていた。
私達はカテゴライズが好きだから、「人類は。」とか「日本人は。」とか言いがちだけれども、
実際には考えられないくらい個体差がある。
能力も、環境も、時代背景も。
それなのに、
一日中、一年中、他人と比べて「上の下の」と感情を動かす。
そもそも学業、スポーツ、芸術、すべてに渡って試験だの選手権だのコンクールだのがあり、
そのせいで向上するのだと、いい感じに教育を受けて育っているから、
ある意味致し方ないとも言える。
もう20年近く前だが、英語講師で占星術師でもある市川先生がおっしゃっていた。
「人はよく、他人をうらやましいと思うでしょう?
でもね、沢山の人達を占っているとね、全然羨ましいとは思わなくなるんだよ。
政治家でも芸能人でもそう。
今はキラキラしてる人も、過去にそうじゃない時期があるし、
未来が危うい人もいる。
仕事がキラキラしていても家族に問題があったり、その逆もあるし。
だから、自分と自分の流れを正確に知って、流れに逆らわずに生きていくことだよね。
表に出てないことはたくさんある。
つくづく人は平等なんだなと気付かされるよ。」
この話を聞いて以降、
箱根路の若者への憧憬のようなものはあれど、
人をうらやましいと思うことは減った。
それでもまだ、
「なんか上手くいかないなあ…、あ〜あ…」と声なき声が出て、
私はなんだかな〜と薄ぼんやりした自己否定モードで、
袋小路に入るときはある。
「悉皆金色(しっかいこんじき)の願い」というお釈迦さまの誓いがある。
全てのいのちがキラキラと輝くまで、
自分は悟りを開かないというものだ。
お寺ではしばしば、そこからやや広がって、
「ものみなこんじき=生きとしいけるもの、全てが尊く輝いている」
とご住職が話されることが多い。
すべてのいのちに意味があり、尊い。
でもそれは、人を能力や今の状況で差別するな、というところにとどまらない。
他人と比べることに注力している時点で、
それは人生における大いなるタイムロスだ、ということ。
「自分のいのちが輝いていること」を
皆んな、すっかり忘れている。
世の中は、比べて向上する時代を終えようとしているどころか、
2026年は、自分に集中していないと、
生きづらさが増していく年になるように感じている。
「私とは何か?」を、
もう一度考える時代に向かっていく。
者皆金色。
一人一人みな金色。
あなたも私もみんな。
だから、周りじゃなく、自分を見る。
自分の本質を知る。
今年は、事あるごとにそう思いたい。
ことさらに何かをする人ではなく、
「静かにそこに在る人」として。


