【支配からの〜♪「母の」卒業】

子育て

娘が高校を卒業した。
盗んだバイクで走り出すこともなく、
家出の計画を立てることもなく。
学校の帰りに渋谷や新宿に繰りだすこともなく、
うっすらお化粧をすることもなく。
成績優秀でもなく、
皆勤賞をもらうほど健康でもなく。
目立たず真面目に、
2つのクラブを掛け持ちして、
ひたすら家と学校を往復した。

「ママ、卒業式来なくてもいいよ」
と言うので、
「ママが、やってられるかーとマスクを放り投げて、窓ガラスの一枚でも割ると思ってる?」
と聞くと、笑いながら、
「来るなら大人しくしてよ」と娘。
「一番後ろで、仏像のように目を閉じてるから安心して」

幼稚園から高校まで、
学校というものと付き合って、
ほとほと疲れた。
言いたいことを言ってるように見えるらしい私だが、
本当に苦しかった。
娘を人質にとられ、
攻めていけない戦国武将のごとく。
基本的人権を教えるけど、子供に人権はなく、
平等や尊重を教えるけど、なぜか教師はいつも上から目線で、
論理的整合性を重視しながら、いつも不合理なことを強いてきて、
自分軸を持てと言いながら、いつも上からのお達しを貫く、
幼稚園から高校まで、
私立公立関係なく、学校は、
未来永劫魔法の解けない、洗脳の館のようなところだった。

そう書くと、そうでない学校もあるとか、いい先生もいる、とかいう議論が必ず出てきて、
結果、出会いという名の運不運の話になるのだが、そんなことではない。
おそらく、子供に寄り添ってくれる教師によって、ある程度子供は快適に過ごせるし、
学校によっては相当カリキュラムの自由なところもあるのだろうが、
学校が信用を得て学校と名乗るために認可を国に求めれば、それは必ず国策に沿ったものとならざるをえない、という根本的な問題だ。
日本の場合、国策とは日本が外からの圧力の中、なんとか生き残るためのやむにやまれぬものであり、
あるいは上に立つ人が小判やお姉さんに目がくらんで作る施策、方策のことであって、
日本人のためのものでなければ、ましては日本の子供たちのものであるわけではない。
ネズミでしか実験していない人類初の、そして海外では誰も見向きもしないお注射を、なんの躊躇もなく受け入れる人には、おそらく教育現場こそがその無思考人間をつくるための洗脳の館だということがわからないかもしれない。

学校に行けないではなく、学校に行かない子が増え、
どう考えても教育現場は制度疲労を起こしている。
小さなところをいじっても何も変わるまい。地球の大変革に伴って、また世界情勢の変化に伴って、遠くない未来にゼロリセットは起きるだろう。
でも館の中に居ると強い魔法でそれはわからない。

友達とも先生とも一切揉めたことのない娘が、
卒業式の朝、
「嗚呼これで学校がやっと終わる」と言って家を出た。

<ごめんね。 しんどいところに押し込めて。 大学は嫌ならいつでも辞めていいよ。 何者かになる必要もない。 好きなことが見つからなくてもいい。 生産的な人生なんておくらなくていい。 ゴールシートやリフレクションシートなんて二度と書かなくていい。 誰かのために役立たなくていい。 あなたはあなたのままでいさえすればいい。>

蛍の光が、
感動的な卒業の歌ではなく、
デパートの営業終了のような、
長かった日々の終わりの歌に聞こえる。

幼稚園をどうするか途方に暮れ、仏教系か、キリスト教系か、無宗教か悩んだ挙句、
「人類は宗教に勝てるか」の著者であり、神学博士で天台宗僧侶の町田宗鳳氏に会いに行ったこと。
入学させた私立の小学校で改革があり合わなくなって公立に転校したこと。
未来を考えて起業を学べる中高一貫校に通ったこと。
親子でしたすべての葛藤は無駄だったとも言えるし、無駄ではなかったとも言える。子供を守るために親が出るところか、引っ込むところか常に迷い続けた。失敗も感謝もある。ただ、無思考人間にはならなかった。

解放され、敵陣から帰ってきた娘を、思いの丈抱きしめた。

もう娘は一人で歩いていく。
支配からの♪「母の」卒業〜♪
この闘いからの♪「母の」卒業〜♪

タイトルとURLをコピーしました