【荒れる春場所〜相撲の行方】

日々のこと

110年ぶりだった。
新入幕での優勝。
しかも、初土俵から史上最速10場所目での優勝。
子供の頃は家でいつも大相撲が流れていた。強すぎる北の湖が勝っちゃってガッカリ。物言いがつくとワクワク。
その後は若貴ブームを横目で見ながらやり過ごし、
横綱の立ち合いでの平手やエルボー、謎の万歳三唱あたりから、すっかり冷めて大相撲を見なくなった。
ところが今月、くだんの元横綱親方が、弟子の暴行の監督不行届きで2回級降格となり、部屋も消滅の危機というニュース。お米のプロデュースで新潟の市議に訴訟を起こされそうだとも聞く。
ついに相撲界も!と言いたいところだけど、
実は明治時代にも同じようなことはあった。
明治政府の欧米化にうんざりした西郷隆盛が西南戦争を起こすとき、鎌倉時代からの相撲行司の家元に生まれた、吉田追風善門も、西郷軍に加担した。
しかし西南戦争に敗れ、
相撲は裸同然の低俗な文化だと貶められる動きは止まらなかったのだ。
ようやく相撲復活の動きが出始めた明治30年代、今と同じような事件が起きている。
免許申請した横綱が品性に欠け、素行が悪いということになり、当時の相撲協会がスッタモンダした。
結局、西南戦争以後引きこもっていた吉田追風善門は、靖国神社に年寄、力士、行司の全てを集めて、
「相撲道」とは何か?を説いた。
相撲はスポーツなのか、神事なのか?
相撲道とは何か?
欧米化にまさるグローバリズムの2度目の波に、大相撲もいま、おそわれている。
すでに力士の両親の出身も含めれば、多様化は完成しているが、それはむしろ有難いくらいだ。襲ってくるグローバリズムの波はそんな波じゃない。
とにかく、今年の春場所においては、
110年ぶりの偉業で優勝を成し遂げた伊勢ヶ濱部屋の尊富士(たけるふじ)、
大銀杏どころか、髷も結えない程の速さで幕内で快進撃の二所ノ関部屋の大の里(おおのさと)。
2人の力士がスカッとした清涼剤のごとく、大相撲に清々しさを取り戻した。
必死に勝ちを取りに行く力士の姿、ガチンコ相撲はやはり見てて楽しい。でも。
できることなら勝つほどに謙虚に。品性を失わず。
大相撲が波に耐えて、相撲道を失わぬよう祈るばかり。

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