【私の陰謀論〜真実はどこにある?】

子供を守りたい

節分も過ぎ、いよいよ大きな時代の転換点で♪立春を迎えるので、私もこのあたり少々でデトックスしてみようと決めた。

私の散歩コースに、勝海舟の墓がある。なんの繋がりもないが、通りすがりに手を合わせながら、最近は勝先生によく聞いている。
「あなたならどうしますか?これからどうなりますか?」と。

勝海舟は、会津にも薩長にも、外国からお金を借りてはいけないと言い含んだらしいが、実際のところはそうならなかった。
昨年から陰謀論の、ある意味中心人物として俄かに脚光を浴びている国際金融資本家達だが、明治維新の10年くらい前から、彼らと繋がる動きは国内にあったようだ。
明治維新以降、様々な犠牲を強いながら、彼らはついに日銀を創設し、全ての根源、「信用創造」を日本に組み入れた。やれやれ笑。
日本は度重なる戦争に無理やり巻き込まれて、その度にお金や人脈のカラクリは政財界に浸透していった(のだと思う)。

私の曽祖父は明治から大正にかけて、国会議員をつとめたが、第一次世界大戦後の軍備増強をめぐる政争に巻き込まれ失脚した。と同時に地元で携わっていた電力、林業、新聞、銀行の経営からも徐々に離れることになった。地元に鉄道を開通させることにも尽力した曽祖父の名前は、きれいに郷土史から消え去った。その裏には尚残る薩長の対立やそれを取り巻く思惑、維新後の絶対官僚主義イデオロギー、薩摩閥に押された地元の廃県の危機があったと、散逸しかけているいくつかの大学の資料から理解している。(会ったことのない人も含め、関係者健在なので、私もまだ勉強不足でありあくまでざっくりとした主観であることをご了承ください)

そういうわけで、良い悪い、支持する支持しないといったところで、政治には奥の奥のさらに奥の駆け引きやシナリオがあり、表に出てくる事実というのはもはや真相とはある意味かけ離れたりしていることも多いということが、理論的にというより、近代化の渦に巻き込まれた曽祖父のことから実感として私にはよくわかる。

昔から今まで「信用創造」のカラクリのもとに、すべてが動いていることも。
司法、検察、警察のあり方も。
「どちらにもお金を出し、闘わせ、漁夫の利を得る」「木を見せて森を見せない」という背後の資本家のやり方も。
明治からこの国はまったく変わっていない。

ここまではちょっと「大昔のハナシ」過ぎる感もあるので、今度は「少し昔のハナシ」。

私が小学校で友達とたわいもない口喧嘩をしたときだった。友達の口から、
「Himaliちゃんちは、ホントはHimaliちゃんちじゃないんだよ。ホントは外人さんの家なんだよ。(実際は方言)」という言葉が飛び出した。言っちゃいけないことを言って出し抜いてやった!感がいっぱいの顔の友達の前で、私はただただ驚くばかり。

私の家が私の家じゃないってどういうことだろう??
ガイジンサン?
当時は特に外国人なんてまったく見かけない田舎である。
学校から帰って、これは聞いてはいけないことなんだろうか?と思いながら恐る恐る両親に話した。
両親もとても驚いて、そんなこと誰が言ったのだ?と聞きながら、父が家の奥から古い書類を出してきた。

曽祖父から家督を継いだ祖父は、大正期に東京で会社を起こしたが、一時期イギリス人の共同経営者を迎えたことがあり、その人との間で後日訴訟になっていた。その訴訟は当時大審院までもつれたが、祖父が勝訴して終了している。高祖父から曾祖父そして祖父へと家督が移動していくプロセスは、江戸末期から明治、大正、昭和と日本が開国し近代化していく激動の時代であり、身内といえど本当のところはわかりづらい。けれども、とにかく父が奥から出してきたのは、その時の、筆で書かれた大審院判決書類だったのだ。

「この通り、最終的に勝訴しているし、まったく問題ない。それにそもそも今住んでいる家とはなんの関係もない。だから心配しなくていい。」
父はそう言ったので、とりあえず私は私の家に住んでいていいんだとホッとしたが、「言っちゃいけないことを言ってやった」という顔の友達が気になった。
なんせ私が子供だった頃だから昔と言えば昔だが、せいぜい昭和50年ころの話だ。
祖父の裁判記録は大正時代のものだったから、子供ながらに、いったいいつの話をされてるんだと思ったし、これからも常にこうやって私の知らない大昔の話が友達から出てくるのかなとビクビクした。
事実か事実じゃないかもわからないような私の知らない話や歴史が、何十年も下手したら百年以上自分と近い人達のところで残っているのだなと思うとモヤモヤした。

なにより、それまでも感じていた「なんとなく自分に向けられた好意的ではない空気の正体」を知ってしまった気がして、そこから私は本音を話さない子供になっていった。
靄のかかったような息苦しさがあり、早く逃げ出したかった。
人は、正しさより希望より、慣れ親しんだものに執着する。いたたまれさに耐えられないことは、裏切りのようでもあり、そこから抜けることには、罪悪感があった。
それでも、上京してアイスを買って食べながら1人歩いたときの青い空を私は忘れられない。

大袈裟かもしれないが、昨年、突然(のように感じた笑)襲ってきた騒ぎは、多くのものと引き換えでも靄のかからない青空の下を娘には歩かせたいと思って、なんとか新しい世界を生きていた私の眼前に、再び突然現れた敵の空母のようなものだった。
圧倒的なプロパガンダで、
近所の人との間を、友人間を、家族間を、
「争わせ、どちらも潰す」
あのやり方で。
アメリカで、家族の中でも大統領選の話題がタブーになっていると聞いて、更に確信した。

学校で習う日本史は、間違いというより相当一面的に過ぎると、多くの人が気付き始めたように、
世界に目を向ければ、これまたもっとダイナミックに光の当て方の違う歴史が何通りも渦巻いている。フランス革命もロシア革命もアラブの春も、背後の思惑やそれで一儲けする存在などには触れてもおらず、偏った見方でしか教科書には載っていない。
しかしさらに高い視点の宇宙から眺めれば、アメリカも中国も全部プロレス団体が割拠しているようなものかもしれず、書かれない歴史や言及されないものも含めて、それこそが地球の歴史なのだと言えるだろう。

であるならば、そう簡単に長年のシナリオはひっくり返るまい。仕掛け側は当然のこと、仕掛けられた側も「やーめた!」と言えないのが人間だからだ。
国際金融資本家を諸悪の根源のように話す人の中にも、私達の根っこ深くまでその考え方が染み付いていることに気づいていない人は多い。
茶番に怒りながら茶番をやめられなくなっている。
社会構造も人の心の中も。

それでも、「争わせてどちらも潰す」手法にだけはもうかかるまいと多くの人が思い始めた。原因を作っておいてその処理でも儲けるマッチポンプなのだと。
プロパガンダにも気付いた。
痛みを伴っても、時間はかかっても、
世界は、地球は、変わっていく。

外側の真実だけを追いかけず、
かと言って決して無関心にならず、流されず、闘わず、
あなたはあなたの信じたものを真実だと思えばよいのではないか。
「本当のこと」は家族を守りたいあなたの心の中にきっとある。

「試験で混乱するから色々な歴史を話してこないでね〜」とアッケラカンと笑う娘の青空を私は守りたい。
翻弄されながら命を落としていった世界中の人々や、真実を伝えるために今も動いている人たちのことを忘れてはいけない。
次の散歩では、勝先生はなんぞヒントをくれるだろうか笑。

それが陰謀という名前でも、ただの計画でも、信じるか信じないかはまさにあなた次第なのです。

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