今年は子育ても一段落して、さて、母として以外のやりたいことに時間をかけようと思っていたが、
次々と体調不良が起きて、昭和製のカラダは補修を余儀なくされた。半世紀以上も使い込んだのだから当然だと、ないがしろにしていたことを反省して、ここまでもったカラダに感謝することにし、落ち込むのをやめた。
それでも、ここ数年での脳の上書きでココロの方もいささか疲れ切っていたのか、1人で居たいと思うことが増えた今年だった。
chat GPTに仮想通貨etc。
捲られ続ける不祥事に、
天災に、流行り病いに、事故に、終わらない争い。
過渡期の地球の、過渡期の時代の動きについていってます!というテイで、
その実、何も知らなかった元の自分がいた一見平和な、茶番にしてはよく出来たアナログ世界に戻れるのでは?という微かな未練もどこかに残り。
知れば知るほどあっちもこっちもメチャクチャな世界なんて、もう壊れた方がいい、壊れて当然と思う嫌悪感と、
そんな壊れた世界への捨てがたい愛着。
この複雑な思いを一体誰と共有したらいいのだろう。
共に生きてきた人達とは、ココロの距離も遠く。
「ひどいありさまだね」「うん、ひどい」
「なんだか疲れるね」「うん、疲れるね」
「傷つくよね、こんなの」「うん、傷つくよ」
と、言葉を交わしたいだけなのに。
急に寒くなった頃、映画”サヨナライツカ“https://m.media-amazon.com/images/I/71JDZH9fqXL._AC_SL1479_.jpg
をたまたまアマプラで見てすぐ、主演女優だったNさんが急逝した。
「今はなんでも肯定できる。それは生きてきたってことかな。頑張って生きてきたってことですよ。」と生前のインタビューで記者に答える様子が、亡くなった後動画で流れ、胸に刺さった。
光と闇。
彼女は華やかな世界で、誰よりも遥かに眩しい光を浴び、想像も出来ない漆黒の闇を見てきたことだろう。
でも過ぎ去ってしまえば、全てを肯定できる。
「なつかしい〜♪痛みだ〜わ♪」という昔流行った歌のように。
痛みが懐かしいと思うのも、なんでも肯定できるのも、自分の人生を愛おしいと思えばこそ。
傷ついたことさえも抱きしめたい。
生きていくって、いや生きてきたって、そういうことだ。
というわけで、
ついこないだの出来事も、遠い昔に思えるほど時の流れが早く、
刺激的なことが多い時代ではありますが、運命の年、来年もせっかくの今生のアバターを、楽しもうと思うのです。
光も闇もすべて愛して。