命に関わることは大事だけれども、それと同じくらい、ずっと私の心を暗く覆っているのが、この混迷の時代に子供達がどう未来を描けばいいのか?という問題である。
歴史、経済、政治、医療、食、あらゆることについて、本当のことを知ってしまった子供たちは今後どうしたら良いのか?
現状を疑うこともない深い洗脳の中にある大人や、清濁併せ呑んでなんとか延命をはかる大人に囲まれて、若者よ、希望を持て、夢を持て、死ぬな、と言われてもそれは無理な話である。
子育てをしている母としても、学校選びのセミナーをやってきた講師としても、大変重要で深刻な問題だ。
単純なわかりやすい例としてはマスク。ウイルスにマスクで対応しようなんて、大型魚用の目の大きな網でメダカをすくうようなものだ。仮に、くしゃみのような大きな飛沫を防ぐことはできるとしても、マスクをしたことによる子供たちの多大な健康被害と比較して、少なくとも子供にとってはいかにそのメリットが些細なことかはちょっと考えればわかる。
一日つけたマスクは公衆トイレの便器より細菌がいっぱい。不織布に織り込まれた化学物質がどれだけ健康被害をもたらすかも、すでに立証されつくしている。他人の顔の表情を見ないで育つ子供や若者の人生にこの先及ぼされるダメージは、計り知れない。
もちろん歯向かって独自性を出せば、マスク信者から学校に抗議の電話の一つも来るだろうから、学校だけを責める気はない。
でも一つだけ確かなのは、本当の社会構造を知っているか否かや、免疫についての知識などさておき、私のように理系科目がとんと苦手だった人間でさえ、科学的におかしいなと思っていることを、物を教える仕事に携わる人たちが、「考えないようにして」粛々と目の前のことをこなしているという事実である。
どんな人にも事情はあるから、いまどうこうできなくても、この状態でどんな教育をしたところで説得力のカケラもないと、真実に気付いたうえでせめて心を痛めている先生が(特に理科や社会の先生が)、まだ日本に残っていたらと願う。
しかし残念ながら、「国が、NHKが、医師会が、厚労省が、そんなおかしなことをするはずがない」という思い込みに阻まれて、調べることを放棄してしまった先生の方が多い。
日本は勝っていますという大本営発表や、サリドマイドは妊婦でも安全と言われたことや、原発が安全と言われたことを忘れてしまったかのように。子供達には常に疑問を持てと教えているのに。
というわけで、少しでも悩みを解消すべく、神谷宗幣氏が加賀市で関わるフリースクールの話など伺いたく、講演会に参加した。
実際の細かい内容は問い合わせて直接調べてもらうのが良いかと思うが、加賀のフリースクールの私の感想としては、
①ルールや運営を参加者(スタッフと学生)自身が決めるということ
②異年齢の子が一緒に活動するということ
の二点において、サドベリースクールに近いという印象を持った。
が、神谷さんは、「既存のいかなる学校とも違います。強いて言えば寺子屋のイメージです。」とおっしゃるので、あくまで似てるというのは私の感想であって、サドベリースクールとも全然違うのだと思う。
ノウハウは開放しているので、ぜひ学びに来てそれぞれの場所に、既存の学校に代わるものを作って下さいとおっしゃっていた。
もし私の娘が今小学校入学前なら、どうするか?普通の学校にはもう行かせないかもしれない。
それはこの騒動の前からそう思っていた。
学校は子供を一人の意志ある人間として、システムとして扱わない場所だから。
保護者として教えるべきは教え、伝えるべきは伝えと思って子育てしてきたけれど、「子供は自分とは違う別人格の人間なのだということだけは固く心に刻んで」、時折失敗もしながら、尊重して育ててきた。
それなのに、学校はいとも簡単に私の子育てルールを破ってくれる場所だったから。
今問題の同調圧力、義務教育のたまものだ。
さてさて、そう言いながら、
すでに実際は学校にたっぷり通わせてしまったウチですが笑、さてどうするか?
日本の会社も土地もものすごい勢いで外資に買われているから、
子供たちはやがて日本名の実質外国企業に雇用されていく。
いや、優秀な移民と更に優秀なAIに押されてそもそも日本人は雇用されるのか?それさえもわからない。
そうですねえ。
我が家のサムライスピリッツの中で育ち、清濁は併せ飲めそうもないし、特別な能力も、開き直れるほどの知的探求心もなさそうなJKには、必殺「起業」しかないかもしれない。
起業体験をどこの学校より濃厚にさせてくれた今の学校には感謝したい。
ひたすら人間力を磨くしかないかも笑。
そんなことを考えながらの帰路でした。
希望がない、ということが人を一番暗くする。
すべての若者が、ここから10年、なんとかカオスを生き残って、朗らかに生きる道を見出せますように!
そのためには、まずは大人がゆめゆめこのまま逃げ切ろうなどと思わないことだ。すべての大人が希望を子供に残すべく生きていけますように!