【デジタル社会の到来】

デジタル社会

本間真二郎医師が「これから先のデジタル社会との共存」について、2023/02/04に講演されたものをFBで公開して下さっていたので、シェアします。主催は栃木県連合教育会で、栃木県内の幼保・小・中・高・特別支援学校・専門学校・大学等の教職員約13,000名からなる18の地区教育会の教育関係者の団体です。本間医師の公開プロフィールはコチラ

講演会についてのFB投稿はコチラ  

まずは、講演会の内容をFBにシェアしてくださった本間真二郎医師に感謝します。
一口にメタバース、ムーンショット計画と言われても、なんとなくの違和感、恐怖心、やむを得ない感じ、これからどうなるのだろうという不安ばかりが頭の中をグルグル回って、具体的なイメージとしてとらえることはなかなか難しいのが我々のほとんどではないでしょうか?本間医師の投稿(スライド)を読むだけでもかなり理解の助けにはなるかと思います。
講演会に参加したわけではないので、正確な理解ができているかは難しいですが、拝読して特に印象に残ったことは、以下の4つです。

① 体調不良の原因の根本は、本当にしたいことと実際にしていることとの矛盾から生じるということ。
② あらゆるデジタルスクリーンによって、脳の報酬系が刺激され、短絡的なドーパミン渇望により、永遠と繰り返されるループのような世界が展開されるということ。
③ 聴覚、視覚と言ったデジタルになじみやすい部分のデジタル化は止められない。デジタル社会とどう共存していくかがカギであるということ。
④ 共存の鍵は、自然の摂理への理解と自然に沿っていきること、そして、自己軸の確立であること。

以上を踏まえて、以下は私のフィルターを通した、私個人の考えであることを断った上で1つずつ見解を書いてみます。

① 体調不良の原因の根本
➡とにかく人と足並みがそろっていないと不安になる人が多すぎると実感します。いわゆる世間に合わせて苦しくなっている人、子供を世間でいう聞こえの良い状態に無理やり導こうとする親によって病気になる子供、であふれています。
他人に迷惑をかけていないならば、自分以外の人の期待に沿って生きて具合が悪くなる必要はないのです。病気になったら適切な治療はもちろん必要でしょうけれど、まずは、本心から離れた生き方をしていないかを考えることも大切でしょう。心と体は一体です。
② あらゆるデジタルスクリーンの刺激によって、繰り返される短絡的なドーパミン渇望のループ
➡SNS、テレビなど、他者から受ける受動的な刺激は、ドーパミン注射のように、中毒になるとは以前から言われていることです。デジタルから意識して離れる、時にはスマホの存在を忘れるくらい何かに夢中になることが大事かもしれません。
さらに言えば、受動的に得た情報や知識の中で生きる人生は、他人の人生であるとも言えます。能動的に生きることが中毒を脱する一つの方法であり、SNSなどで自分の知覚したすべてを、誰かに共有しないではいられないというのも中毒の一つです。多くの人に知って欲しいという気持ちが悪いわけではないけれど、共有する前に、リアルな家族に話す、友人に話す、自分一人で思い返してみる、そんな喜びを忘れたくないものです。
③ デジタル社会との共存のカギ
➡私はゲームをしないので、詳しくないのですが、フォートナイトというゲームがオープン化されたと聞 きました。これはある意味自由に作ってくれという合図でもあると考えます。
現在Youtuberが自由に自分の番組を作って広告収入で生計を建てているように、今後は人気のゲームを作ってそこの訪問者により収入を得る人も増えてくるのではないかと、想像するわけです。
詳しく書いてある記事を見つけました。コチラ
  マッチングアプリで出会ってお付き合いをしたリ、結婚する人も増えました。今はまだきっかけをデジタルに任せているだけですが、そのうちに、ネット上で家族をつくり、実際に人生や生活を共にすることなく、おはようからおやすみまでをそこで過ごす、ある意味仮想の家族で満足する人は増えてくるかもしれません。
睡眠と排泄と食事以外のすべて、仕事も恋愛も結婚も趣味もデジタル上で済ますことに違和感のない人達も現れそうです。
④ 自然の摂理に沿って生きることと自己軸の確立の大切さ
➡もし仮想現実だけでは満足しない、肉体を持った人間として今後も生きたいと思うのならば、自然と共存していく強い意識は大事だと思いますし、そこを離れると、あっという間にデジタルだけの仮想現実だけを生きることになると思われます。
自然はアナログであり、フェイクではないからです。自然と接していると、デジタル上のものは自分のリアルではないと気づくことが容易になります。
もうメタバースに世界は舵を切った以上、止めることはできないかもしれません。そちらに偏る人達を非難する余地もありません。すべては選択の問題かなと思うわけです。
であるならば、②でも書いたように、他人の考えや世間はあくまでも参考にするだけという、自分軸の確立がとても大切になってきます。
常にSNSばかりを受動的に見ていると、他人の意見を自分の意見と錯覚してしまいがちです。しかもそれはSNSの管理者によって誘導された意見かもしれません。実際無料のアプリというものは、使用者の反応を集め、カテゴライズするための存在でもあることを忘れてはいけないのです。とするならばSNSなどから得た知見は、他人に左右されたものですらない可能性があるのです。
脳チップも開発されている今、(サルで実験済みですね)、デカルトはかつて”I think therefore I am”. =「我思うゆえに我あり」と言いましたが、我=自分さえも、誰なのかわからなくなる時代がそこまで来ています。
生まれてからずっとスマホの生活をしている若者や子供は、違和感なくメタバースの仮想現実を生きるかもしれません。むりやり自然と共存する生活に導きたいと思ってしまう親も少なからずいると思うし、私もどちらかというとそちらです。しかしそれをデジタル世代で人生経験の少ない子供が受け入れるのか、受け入れられるのか、これもまた難しい問題です。
もしそれを願うなら、早い段階で、リアルな経験の楽しさを親子で味わうことは必須でしょう。

好むと好まざるとにかかわらずグレイトリセットに向かう今、逆らうとか立ち向かうとかではなく、まず、自分はどうこの時代を生きていきたいのか?を考えるべき時がきています。どう生きるべきか?ではなく、どう生きたいのか?
あなたは、私は、誰なのか?
もしかすると今は、テレビやSNSから離れ、一人で、立ち止まって考える最後のチャンスかもしれません。

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