中学生の時、通学していたバスの中で、
初めて作家加藤諦三の本を読んだ。
たしか題名は、
「自分に向かって何を叫ぶか?」
いかにも思春期の中学生が読みそうだ。同じバスに乗り合わせた友人に、いかにも読みそうな本だね、ふふふと言われたのを覚えている。大人になって同じタイトルの文庫本を本屋で見つけたとき、その時の懐かしい記憶とともに、タイトルを思い出したのだった。
上京して、スッタモンダしながら生き、悩みが観念的なものから、より実際的な泥臭いものになり、心が居場所を求めてフラフラしていたとき、彼の本を手に取ることがあったのだ。
その加藤諦三先生は、ラジオで「テレフォン人生相談」を長くやっている。
最近、仕事やプライベートでご相談をたくさん受けるようになり、支援者として未熟な自分の実践的な学びになればと、初めてYouTubeでまとめて「テレフォン人生相談」を聴くようになった。
離婚、不倫、借金、ギャンブル、嫁姑、不登校、家庭内暴力、セックスレス、引きこもり、ご近所トラブル、病気、介護、不当解雇、相続、詐欺、大事な人をなくした喪失感、漠然とした不安…。
声の高さ、速さ、話し方、論理性、年齢、大体の家族構成だけでも、相談者のかなりのことがわかってしまうから加藤諦三先生はやはりスゴい。
顔も見えない、実質たった15分だからこそ、こんなに本質に切り込めるのだろう、
普通のカウンセリングではこうはいかないし、原因がわかってからが大変なんだよ、と思わないでもないのだが、その洞察力と、相談者への愛情には胸が熱くなる。
穏やかな人の、目に見えない周囲への敵意。
子供のことを心配する親の、実は自分の人生への不安。
周りにダメだと思わされている人の本当の生きる力。
「テレフォン人生相談」のたった15分が、相談者の数十年を炙り出す。
何人、何十人、人によっては何百人もの相談を聞いているうちに、リスナーは相談者の人生を自分の人生に重ねるようになる。
自分にはまったく当てはまらないなあと思いながらも聞いてしまうリスナーのために、この人生相談があるんだと気付かされる。
子供の頃の親や教師との関係性がいかにその人のその後の人生に影響を及ぼすかを思い知る。
時には目に見えない、家庭や学校、会社における、支配と被支配の関係だったりもする。
そして、それが決して挽回できないものではなく、人は誰しもいつでも自分の生き生きとした人生の主人公になれるのだということも、ハッキリわかる。
私達は今春以降、突如予想してなかった展開に放り込まれ、深く考えまい悩むまいと思いながら、それでもどうなるんだろうと考えて日々を生きている。
アメリカやヨーロッパの金融資本家や、人口削減が大事らしい某財団のトップ、選挙で選んでもいないこの国の人達に、支配されているかもしれないことに気づき、怒りを持ち、被支配の恐れを抱く人達も多いのではないか?
けれど、支配と被支配の関係はあなたの家の中にはないだろうか?
通った学校、子供を通わせている学校にはないだろうか?
職場にはないだろうか?
モラハラの夫、あなたの為と言う毒親、感情に任せて怒鳴る教師、スポーツの中の体罰、嫌なことを毎日言う上司。
地球上から支配と被支配の関係をなくしたければ、家庭の中に支配も被支配もあってはいけない。
学校や職場に支配と被支配の関係があるうちは、社会からもその関係性はなくならない。
加藤諦三のテレフォン人生相談は、私にそんなことも思わせる。
自由でいる強さを持ちたい。
どうなるんだろうではなく、どうしたいと、思いたい。
地球も社会も、私の人生も。
テレフォン人生相談