便利さと危うさと

日々のこと

〜SNSの誹謗中傷とスーパーシティ法案成立

Instagramのアカウントは平均1人2つ。
学校での嫌なことはTwitterでつぶやく。
今どきJKの標準スタイルである。
親世代にはついていけない気持ちもあるが、物心ついたときからデバイスに囲まれていた彼女達は、SNSにもデジタルにもアレルギーはまったくない。
瞬く間にわかりやすいスライドやグラフを作り、それをシェアして先生や友人を説得するのもお手の物だ。
SNSがない世界に逆に戸惑うかもしれない。

仕事の集客に使う人、
自分の見つけた情報をシェアしたい人、
仲間と繋がりたい人、
オトナだって様々にSNSの便利さを享受してきた。
人気恋愛バラエティの出演者が亡くなって、SNSの「誹謗中傷」を規制すべきではないか?という声が大きくなっている。「誹謗中傷」はつらい。


自殺したい人や寂しい人を探して、犯罪を犯す人も後を絶たない。
直接そのSNSに関わってない人の心も傷つく。気持ちが沈む。

だからといってSNSの便利さを享受してきた私達が、急にそれを放棄はできない。
便利と危険は表裏一体にも思える。
コロナで様々な面倒や危機を感じた私達は、オンライン化や施策の迅速化の重要性を一様に感じている。

だから、
「便利さ」には必ず「危うさ」がともなうことをいきおい忘れてしまいそうになる。

いわゆるスーパーシティ法案が参議院本会議で可決され、今日成立した。
Smart からSuper に名前を変え、
「スーパーシティ」整備 改正国家戦略特区法 が正式名称だ。

スーパー(スマート)シティは本当にスーパー(スマート)なのか?
SNSの時と同じように、私達は「便利さと表裏一体の危うさ」も考えてはみたか?
その便利さは、私達の税金の使い道として高いプライオリティなのか?
違う選択をする人を色眼鏡で見たりはしないか?
5Gしかり。
ワクチンの量子ドットしかり。

時短料理で日々を乗り切る私は、たぶん電子レンジなしには、1日だって暮らせやしない。それなのに今更?という気持ちもあるが、5G発信器の近くには、できたら、いや、か〜なり、住みたくない。

私は、Amazonのヘビーユーザーだ。だけど、私のお買い物傾向にのっとって、<オススメ>してくるAIに、「残念でした!今は指向が変わったんです!」とデバイスの前で呟く、ひねくれ者でもある。

だから、なかなか心配事はつきない。

アーミッシュに憧れる気概はないが、香港市民のように闘うパワーもないかもしれない。

迅速化は大事だ。でも、「便利さと危うさ」の人々の議論が、SNSのように人が亡くなってからでは悲しすぎる。

タイトルとURLをコピーしました